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「いらっしゃいませー!」


子ども達のかわいらしい声が客を何人も惹きつけていた。十時ごろから始めたカキ氷屋は昼をすぎた今が丁度売れ時だ。小さい子のお守りをしていたロリィも、サボっていたヴィスウィルも総動員してやっと店が回るほど繁盛していた。


「レイ姉ちゃん!これ、重くて持ち上がんない・・・」


ルックとラックが下においてある氷の塊を持とうとするが、身体の小さい二人にはとてもじゃないが持ち上げられなかった。ヴィスウィルとシヴィルには頼みづらい、あとの女3人の中では麗が一番適任だと子どもなりに判断したのだ。


「あ、うん。私がやるよ、貸して」


麗は氷の入った袋の取っ手を握り、ぐっと力を込める。
だが、持ち上がらない。


「あ、れ・・・これこんなに重かったんだ・・・よっ・・と・・・」


再び力を込めるが、それでも氷は動かない。


「おっも・・・これ、どうやって持っ・・・うお?」


引っ張っていた袋が急に軽くなり、やすやすと机の上へ置かれる。麗でも持てなかったものを持つなんて、一人しかいないだろう。


「ヴィ、ス・・・ありがとう・・・」


麗はそれだけ言うと、さっさと次の仕事へ移った。忙しいからだ。決して目を逸らしたわけではない。今はやることがある、と自分に言い聞かせた。
その様子をカミラが一人、淋しそうに目を細めて見ていたが、とても長く見ていられなかったのか、すぐに目を背けて客に笑顔をむけていた。


「レイ様・・・」



















































ようやくピークを超え、日が沈んでくると、客足も減ってきた。それでも、二、三人の列はできている。
ロリィは教会の中へ子ども達のお守りに戻り、リールは疲れた、といってロリィと一緒に行ってしまった。シヴィルとルック、ラックは街の中心の方で売り子になって出ている。
今、店にいるのはカミラ、麗、ヴィスウィルの三人だけ。ヴィスウィルは奥で座っているだけだが。































「ウララ」
「!」



















唐突にヴィスウィルが麗を呼んだ。
別に今になって名前を呼ばれることも珍しくはないのに、妙に驚き、一瞬固まってしまった。
何を言われるのかとゆっくりとヴィスウィルを振り返った。


「な・・・に・・・」
「・・・・・忘れろ」
「何、を・・・」


訊かなくても分かっている。何のことだと訊かなくても分かっているのだが、何だかくやしくて、思わず言葉に出る。


「・・・・昨日、」
「レイ!」


ヴィスウィルが続きを言う前に、カミラが明るい声で会話を切った。少し安心した麗だが、何か釈然としない感じがしたのも本当だ。


「氷がもうなくなりそうなの。悪いけど、教会の裏の川から水をくんで、凍らせておいてくれない?」
「え、あ・・・・川?」
「うん。森の中に少し入ったら川があるの。そこの水をいつも使ってるから」
「え、あ・・・うん、分かった・・・」


この日の沈んだ暗い中で森の中に入るのは気が引けたし、寝ていないせいでもう体力も限界に近かったので少し休ませてもらおうと思っていた。だが、ここから早く立ち去りたかった気持ちが上回り、承諾してしまった。
大丈夫、水をくんで凍らせて、少し休ませてもらおう。そう考えてから麗は教会の裏の方へ走っていった。
それを食い入るような目でカミラが見ていたのは麗は知らない。

























「ほら、ヴィスウィルも座ってないで手伝ってよ」


見計らったようにカミラはヴィスウィルを手伝わせる。多分、わざとだ。わざと麗に水を汲ませにいかせ、ヴィスウィルと二人になったのだろう。でなければ、森に慣れていない麗をわざわざ行かせるわけない。自分が行った方が早いのに。
カミラにとってこれは”賭け”なのだろう。こうでもしなければヴィスウィルはきっと麗につきっきりだ。その思惑をヴィスウィルも分かっていて素直にカミラの言うことに従った。麗が気にならない訳ではなかったが、川は森に入ってすぐだ。暗闇でも迷わないだろう。





















































「大丈夫でしょうか、レイ様・・・」
「そうですわね。いつもの彼女ではなかったですわね」


リールは起きてきて慣れない子ども達と遊んでいた。それも、麗が水を入れる容器を取りに一度教会に戻ってきたからだ。あまりにばたばたするので目が覚めてしまった。
ロリィにただ「水汲みに言ってくる」とそれだけ言い、さっさと出て行く麗の表情からは何があったのか何も読み取れなかった。


「ヴィスウィル様と何かあったんでしょうか・・・」
「それしか考えられませんわね。全く、溜め込んでないで話してしまえばよろしいのに!」


意外にも麗の味方をするリールに、ロリィは驚きながら、麗の向かった先を見つめた。









































































一方、麗は。


「そうよ。だいたい何で私がこんなに逃げ回らなきゃいけないのよ」


水を汲みながらいろいろ考え、結局そういう思考になった。











何故、キスをした?










冷静でなかった自分を止めるため?気まぐれ?
一番そうでなければいいと思うのは、ヴィスウィルがしたかったから、という答え。
奴に限ってそれはない。そう思っているが、もし、万が一そうだったら。
自分はどう答えていいのかわからない。
キスをしたかったからする、なんて、好き、と言われているようなものだ。さすがに麗はそこまで鈍くない。




































「なんで、よ・・・バカヴィス・・・・」


汲んだ水をトン、と地面において、自分の右手で自分の唇に触れる。
未だ残る、冷たい感触。















その時まで考えていた地球のことなんて一気に消え、考えることができなくなった。
いや、考えなくてはならない。分かってはいるが、どうしても今は。


































「もう嫌だ・・・・帰りたい・・・・・・」











































細い腕で膝をかかえ、俯いた。


言ってしまってから、あ、と気が付いて自己嫌悪に陥る。
この世界に来て、初めて弱音を言った気がする。
いつの間にこんなに弱くなってしまったのだろう。いつ自分は弱音を吐くほど頑張ったことをしたのだろう。


「大嫌いだ」


こんな自分が。













この世界に来る前にリセットできたらどんなにいいだろう。ヴィスウィルとも会わずに、普通に地球で過ごせたら。
そんな考えしか浮かんでこない自分が嫌で仕方ない。


そう、すべてはヴィスウィルのせい。










































ヴィスウィルが、キスなんてしなければ。












































ごうごうと流れる川を見ながら麗は静かに唇をかんだ。























ゆっくりと目を閉じ、再び開いた。








































「!!」


だが、開いたその目線の先にあるものは、川ではなく鉛色の街。いや、鉛色よりもっと暗い、もっと。
それに負けないくらいのオレンジが至る所から溢れ出している。これは。


「・・・・戦・・・・争・・・・?」


きっとオレンジ色は炎。
そうだ、意識すれば耳をふさぎたくなるような悲鳴や、獣のような唸り声が響いてくる。


「何よ、これ・・・・」


記憶にもない風景がこんなにもはっきり浮かび上がってくる。そして、胸を裂くような叫び声はだんだんと大きくなり、鼓膜を破ろうとしている。


「やめっ・・・て・・・いや・・・やめてよ!」


ぎゅっと耳をふさぎ、頭を痛くなるまで振った。








































それが効果があったのかは分からないが、声が突如として止んだ。









































そして、その代わりに目の前に浮かび上がったものは、あの丘。


「ここ、は・・・・・」


ヴィスウィルが助けてくれた、あの丘。









先ほどとは180度違う風景だった。
新緑の草花、静かな風。だがよく見ればさっき炎に包まれていた場所を見ていたところと同じだった。ただ同じ場所で、戦争があればこんなにも違う。

































そして、一人の青年を見つけた。






































「・・・・ヴィ・・・ス・・・・」






















白銀の後ろ姿。
名前をか細い声で呼ぶが、聞こえていないらしい。こちらを振り向こうとはしない。


「ヴィス!」


少し大きな声で呼ぶが、彼はそれでも気が付かない。
それならば、と手をめいいっぱい伸ばした。


「!」





















だが、その手に触れたものは凍るような冷たさの水だった。






























「・・・・っ・・・・戻っ・・・た・・・?」


気が付けば元の川の前。変わらずに勢いよく流れる水。


「は・・・はあっ・・な、ん、だったの・・・?」


運動したわけでもないのに息が上がる。どうにか整えようと心臓を強く握るが、鼓動は速くなるばかりだった。


「や・・・・ば・・・」


自分の身体が支えきれない。


































傾いた麗の身体は、そのまま音を立てて川の中へ落ちていった。






























後書き

麗さん再び窮地。
今回長すぎた。
さあ、これでまたストックなくなったよ!
次回あたりがゲロ甘かな?
その次くらいかな?

20100217