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「帰れ」
「ふざけんな。オヤジがお前のとこに行けっていったんだ」
「あいつが勝手に言った事だろ」
ヴィスウィル=フィス=アスティルス、五歳。日本で言えば幼稚園年長ぐらいのころだ。この頃になってくると、運動能力が上がったり、言語力も大分ついてくるころだが、ヴィスウィルはそんな過程はとうに過ぎていた。同年代のそこらへんの子供と比べたらずば抜けて発達しているが、その分この上なく生意気だった。
シヴィルはまだ生まれて一年も経っていない。いくらなんでも0歳では何もできないので今はとりあえずヴィスウィル一人でイヴァンの元へ来た。
そう、修行に。
シヴァナに言われ、イヴァンを探し、三ヶ月。人の噂だけを頼りに歩き回り、街中を何回も行ったり来たりした。ラグシールの街は他と比べたら広い方であるが、どんなにゆっくり歩いても端から端は一日で歩ける。店という店をまわっても、一週間もあれば足りるだろう。なのに三ヶ月もかかってしまった。
理由は簡単だ。イヴァンは至る所に出没するからだ。同時刻に離れたところで噂を耳にできる。方向音痴でないヴィスウィルがこれ程までに時間がかかった原因は誰にも責められない理由であった。
それなのに、やっと捕まえた彼の元へいけば、最初から膝を折りそうな言葉だったのだ。
「お前を見つけるのに三ヶ月もかかったんだ。今更帰れるか!」
「そりゃあお前の要領が悪いだけだ。俺には関係ない」
見つけた先は、森の中だった。いずれ、ここに一人の少女が現れる。
後で聞いた話だが、イヴァンはヴィスウィルが彼を探している間、ずっとここにいたようだ。つまり、噂は99%デマ。無駄な三ヶ月を過ごしたのだ。
「オヤジに言え!あいつ、本当はお前の居場所知ってるのに、最後まで俺に言わなかったんだ」
「ははは!あいつらしいな!」
「笑い事じゃねぇよ!とにかく、俺に修行してくれ!」
「断る」
「何でだよ!」
まだイヴァンの半分の背丈しかないヴィスウィルは精一杯見上げて睨んだ。父親の知り合いだと聞いたのに、断る理由が分からない。
「お前、俺を誰だと思ってんだ?あ?」
「イヴァンなんとか・・・」
「せめて名前覚えろ」
そのままイヴァンはバタン、と戸を閉めた。
「ちょっ、おい!」
思わず伸ばした腕も宙を切るばかりだった。そのまま数秒固まってしまい、むなしい時が刻々と過ぎていく。苦労しまくった三ヶ月間が”帰れ”の一言で片付けられたのだ。固まりもするだろう。
いくらヴィスウィルとはいえ、まだ五歳の子供だ。そんなイヴァンの態度にふつふつと怒りがこみ上げ、意地でも修行をつけさせてやろうとその日からヴィスウィルはイヴァンの家の前に居座った。修行をつけてくれるまでここを動かない、と。
二日経ち、三日経ち、一週間がすぎてもヴィスウィルはそこにいた。だが、イヴァンは初めて会ったあの日から一度も顔を見せていない。恐ろしすぎるほど家の中は静かで、確かに人のいる気配はあるのだが、全くと言っていいほど物音がしなかった。またどこかに逃げたのではないかと疑うほどだ。
そして、一ヶ月が過ぎた。
「・・・・・・あいつ、まだいるのか」
家の扉の前でヴィスウィルが居座っていることは最初から知っていた。いつまで続くのだろうと試したわけでは決して、決してないのだが、今だ気配が消えないので内心驚いていた。
まだ五歳の小さな身体のどこにそんな根性があったのだろう。それでもイヴァンはヴィスウィルの修行を受け入れようとは思っていなかった。
「・・・あれ・・・・?」
イヴァンはいつものようにあける引き出しを今日も同じ時間帯に開け、目的の物の異変に気が付いた。
「少なくなってきたな・・・買いに行くしかねぇか」
元々殆ど外に出ないイヴァンが家のドアを開くのは80%この理由だ。
「・・・・ちっ・・・」
おそらくドアの向こうにいるであろう少年に顔を合わせるのは面倒だと思ったが、仕方ない。ため息をつきながらもイヴァンはドアを開いた。
「よお・・・」
予想通りにそこにいた少年に声をかける。心なしか疲れが見えるその顔をあげ、イヴァンを睨みつけた。子供とはいえ、相手がイヴァンでなければ十分人を脅せる目つきだ。
「そんな目で見んなよ、こえーだろ」
「どこ行くんだよ、一ヶ月ぶりに」
「薬買いに行・・・・って・・お前、何でついてこようとしてんだよ?」
「逃げられちゃ困るからな。一緒について行く・・・っんだ・・・よ・・・っ」
「お、おいっ」
ふらふらと立ち上がったヴィスウィルはしっかりと立つことができず、そのまま後ろへ傾いた。とっさにイヴァンが背中を支え、地面に倒れるのは防がれたものの、ヴィスウィルの意識はなく、荒い息を繰り返すばかりだった。
「・・・すげー熱だな・・・って・・・!」
額に手をあてて確認していると、ふと細い腕にあざのようなものを見つけた。
「これは・・・・!」
覚えがある。中心だけ赤く腫れ、周りは黒に近くなるほど紫がかった肌の色になる。まるで腐ったようなものになってしまう、これは・・・・
「毒蜂・・・」
この森にだけ生息する恐ろしい蜂だ。繁殖地は狭いものの、刺された者は90%死ぬというとんでもない虫。
イヴァンは蜂に刺されるというヘマはしないのでこの森に住んでもどうということはないのだが、ヴィスウィルはまだその術を知らない。そして、この蜂もあまり知られていない種である。おそらく刺されてもそのまま放っておいたのだろう。
「・・・・あほたれ・・・っ・・・待ってろ、すぐにマリスの所に・・・」
「待て・・・」
助かる確率を数倍にあげてくれるマリスの元へ連れて行こうと、ヴィスウィルを抱え、立ち上がった時だった。意識を失っていたはずのヴィスウィルが急に口を開いた。
「あ?・・・何言ってんだ。このままじゃ死ぬぞ、お前」
「・・・・はぁ・・・はぁ・・っ・・つれて・・・行くんなら俺を修行するって・・・約束、しろ・・・っ」
「てめ、言える立場か、こんにゃろ!」
「・・・・・・・・」
次の瞬間にはヴィスウィルは再び気を失っていた。
「・・・・ちっ・・・・・」
「全く、助けるんじゃなかったな・・・・」
「はい?何か言いました?師匠」
「おい兄ちゃん!よそ見すんじゃねぇよ!」
五年後、同じようにイヴァンの元を訪ね、弟子入りしてきたシヴィルに五年前のヴィスウィルを重ね、何度目かになる後悔をした。
「シヴィルの言うとおりだヴィスウィル!油断してると足元すくわれるぞー」
「んなこと、言ったって、こいつじゃ、相手にならな、い!!」
「うわっ!!」
ヴィスウィルはシヴィルの剣を弾き飛ばした。
まあ、仕方ないというように、イヴァンはその様子を座って見ていた。優雅に紅茶まで飲んで。
もう何時間もこれを続けている。シヴィルにとってはいい修行相手だろうが、ヴィスウィルには相手にならなく、数十回目になる勝利にも飽きてしまっていた。
「紅茶など飲んでいる暇があるんなら師匠が相手して下さいよ」
つまらなそうに剣を鞘に収め、ヴィスウィルは水を飲んだ。シヴィルは悔しそうに弾かれた剣を取りに行っている。
「お前本当に十歳か?生意気すぎ。それに、今日は調子わりーからダメ」
「何の調子ですか。頭?それだったらいつもでしょう」
「そりゃお前だ。じゃなきゃ、憧れの師匠様にそんな口きけねーもんなぁ?」
「ああ、やっぱり頭ですか。何だったらマリスでも呼びましょうか?いくらマリスでも治せないと思いますが」
「死ぬか?」
「あれ、相手してくれるんですか」
「どうしたんだ、師匠」
延々と続きそうだった会話に口を挟めたのはシヴィルだ。ヴィスウィルに似て、生意気な顔はしているが、シヴィルの方がいくらか愛想がある。イヴァンはヴィスウィルより数倍シヴィルの方が好きだった。確かにシヴィルも生意気だが、ヴィスウィルに比べたら可愛いものだ。いじめればちゃんと拗ねてくれるし、からかえば年相応の反応をしてくれる。ヴィスウィルと違って。
「・・・・・確かに、珍しいですね、もっともらしい理由をつけて相手してくれないの」
相手をしてくれないのは日常茶飯事だったが、いつも”だるい”だとか”面倒”だとか、やる気のない言葉であしらわれていた二人は少し雰囲気の違う理由に眉をよせた。
「たまに言うと真実味があるだろ」
「話をはぐらかさないでください」
ヴィスウィルの相手が面倒なら面倒でいつもはっきり言うイヴァンがわざわざ今になって理由など考えるわけないと知っているヴィスウィル。五歳ながらも何かを感じ取ったシヴィルも、不安そうにイヴァンを見上げている。
「別にはぐらかしたわけじゃない。それより、ヴィスウィル。家の中行って、食器棚の右の引き出しの中のもん、取ってこい」
「はあ?なんで俺が」
結局はぐらかしてんじゃねぇか、ということよりも、パシられることの方が気に障ったらしい。
「シヴィルは背が届かねぇだろうが」
「自分で行けばいいでしょう」
「・・・いいから行け・・・・・・・・・・・・・動けねぇんだよ」
「!」
修行を再開しようとイヴァンに背を向け、遠ざかろうと踏み出した足を止めた。
いつも理不尽にこき使われるのに今更彼に理由などつける必要はないはずだ。
振り向いた先にいた彼は不適に笑っていながらも、色のない顔に脂汗をかいていた。
そしてヴィスウィルは初めて素直に自分の師匠の言うことをきいた。
後書き
ちょうど一ヶ月かかってこれだけか(遠い目)
話はできているんだが、書き出す気力がねぇ・・・
あ。イヴァンが引き出しからだそうとしてたものは薬です。例の謎の病の。分かりにくいですね。
やっぱりイヴァンとヴィスの会話は書いてて楽しいなぁ!
回想シーンて考えるのは楽しいが、書くのってしんどいんだな・・・
20090409
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