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そこで初めてヴィスウィルが麗を見た。かつてないほど切れ長の目を見開いて。
「誰って・・・・ヴィスウィル様じゃない、何言ってんのよ?!」
「ヴィスウィル・・・・様?」
それでもまだ不思議な顔をする麗に皆の呼吸が止まる。
「レイ・・・・・・兄貴が、分かんねーのか・・・?」
「シヴィルのお兄さんなの?それはどーも・・・」
ペコ、と頭を下げる麗がまぬけに思えて仕方なかったのは作者だけだ。
ガシャァァン、と音がして、ロリィの手からヴィスウィルの夕食が全て床に散らばった。
「ロリィ?!ちょっと大丈夫?!」
ペタン、と腰が折れるロリィの駆け寄り、麗は割れた皿を片付けようとする。白い陶器の欠片に伸ばされた手を、ぱし、と掴まれた。
「・・・・ウララ・・・・」
「・・・何か・・?ていうか、何で名前知ってんですか変態ですか」
地球で何度か見知らぬ人に名前を知られていて、告られた覚えのある麗は顔を歪めた。碧い瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「・・・ちょ・・・何・・・何?セールスの勧誘ならお断りして・・・」
「俺が分かんねーのか」
「はい?何ですか。新手のナンパ?」
「・・・・・・・何があった、シヴィル・・・・」
麗の手を握ったまま、ヴィスウィルはシヴィルを見上げた。シヴィルは止まらない冷や汗をぬぐう。
誰もが信じられぬ事態だった。
麗には、ヴィスウィルの記憶だけない、なんて。
「俺達には聴こえなかったんだけど、どうやらレイにだけ聴こえたらしい・・・」
スルクとの一部始終をシヴィルが簡潔に話し、それをヴィスウィルは無言で聞いていた。
「何か言ってたんだけどねー。よく覚えてなくて・・・ごめんなさい」
すっと肩をすくめて麗が謝る。だが、きっと悪いのは麗ではない。魔法をかけたと同時にかけられたときの記憶も消したのだろう。
「でも、私達のことは分かるんですわよね?」
「うん。ロリィとシヴィルとリールは・・・あ、えーと・・・ごめんなさい、ヴィスウィル、さん」
思わず他人行儀になる麗にヴィスウィルは少し眉をひそめる。
「お前がいながら何やってたんだ、シヴィル・・・」
ギロ、と切れ長の目がシヴィルを睨む。いくら自分の兄貴とはいえ、いつもより冷たい目に背筋が凍りそうになった。これは、見たことある。あの時だ。
あの、戦争の時。
「悪ぃ・・・」
とても目を合わせられなくて、右斜め下に視線を移す。分かっている、あの状況なら自分が三人を守らねばならなかった。
「違いますよ、ヴィスウィル様」
ロリィが彼女とは思えない低い声でつぶやいた。
それにシヴィルもリールも麗もびっくりしている。ヴィスウィルはただ、顔を上げるだけだった。
「ロ、ロリィ?」
「この責任はシヴィル様だけではありません。あなたもですよ」
「ちょ、ロリィ」
見たことないロリィの様子に麗が一番驚いている。こんなに我を出す人だっただろうか。こんなに恐いオーラだっただろうか。
「そんな、私大丈夫だから、ね?」
「レイ様を置いていったのはヴィスウィル様です」
確かにそうだった。ヴィスウィルがいればこんなことにはならなかったのかもしれない。それが正しかったから誰も何も言えなかった。そして、ヴィスウィルも分かっていた。
麗の記憶に自分だけないのにイラついて、何かにあたらずにはいられない。
ヴィスウィルの手がぎゅっと静かに強く握られた。
「分かっておられますよね?」
「・・・ああ」
やっといつものトーンに戻ったロリィの声にヴィスウィルが静かに応えた。
後で聞いた話だが、あの我の強いヴィスウィルが実際言うことを聞くのはロリィの言葉だけらしい。いつもはヴィスウィルに意見しないロリィがたまに言うからこそその言葉に重みがある。
「えーと・・・とりあえず私はこの人の記憶だけを失っているってことだよね?」
「どうもそうらしいな」
今さっき初めて会ったばかりとしか思えないこの綺麗な青年。過去の記憶を辿ってみてもその姿はないし、"ヴィスウィル"という名前も聞いたことない。でもどうしてだろう、なんだか見ているとイライラしてきた。この人が自分に何をしたわけでもない。不快を与える言葉を吐いたわけでもない。こんなのは理不尽だというのだろうが、感情なんて自分でコントロールできるものならやっている。
「魔法かけられて記憶がないんなら魔法でどうにかなんないの?」
周りに対してあまり慌てた様子のない麗は他人事のように軽く言う。
根本的な記憶は残っていて、ただヴィスウィルという存在そのものがすっぽりと抜けているらしい。頭の中を探って、あ、これかな、と見つけた記憶はぽっかり穴が空いていて、ただの中身がない空洞の状態であった。
「かけられた魔法が分かんねーと、どうしようもねぇんだよ」
「下手に間違った魔法で詠唱しようものなら残っている記憶も全部ふっとぶだろうな」
「わお」
ち、と軽く舌打ちをする男子陣。どちらも自分とスルクが憎くてたまらない。
「と、とりあえず今日はもう休みましょう?皆さんお疲れでしょう。明日になれば何かいい案も浮かびますよ」
ロリィが精一杯笑って手を打つ。その声をきっかけに、皆このまま考えても仕方がないと思ったのか、それぞれの布団に入る。もう二時間も経てば日が昇るだろう。
見張りのヴィスウィルだけを残して四人はすぐに眠りについた。
「―――ス、ヴィスったら!」
「!」
その瞬間、自分はこの声でこの言葉が聞きたかったんだと思った。無意識のうちにそれを望んでいて、また、自覚がないだけだったのだと悟った。
だからそう呼ばれたのに反応しきれなかっただけ。
「お前・・・記憶が戻ったのか?」
でもそれはヴィスウィルだけがそう思ったのではない。シヴィルもロリィもリールもそれを期待していた。
麗は、まさか、と口を開けている四人を見て不思議そうに首をかしげる。
「何でよ?戻ってないけど」
当然のようにいばる麗が眩しくて仕方ない。
「だって名前、ヴィスって・・・」
「ああ・・・だって面倒じゃない、長くて。ヴィスウィルって舌噛みそうなの!」
記憶が戻ってきたのは麗よりもヴィスウィルだった。あの時、こんな呼び方をするのはこいつが最初で最後だと、そう思ったのだから。
「なんだ、期待して損したわよ」
「だから何でよ?・・・・と、それよりヴィス、何でこんなに部屋の中に閉じこもってなきゃいけないのよ?街見たいってば」
「だめだ」
「だからどうして!」
「スルクがどこにいるか分かんねーだろうが」
「それこそ外に行ったほうがいいんじゃない。スルクに会って私にかけた魔法聞き出せばいいでしょ!」
とりあえず普段の会話に支障はないようだ。麗の辞書の中に"人見知り"という言葉がなくてよかった。
「聞きだせる相手だと思ってんのか」
「そんなのやってみなきゃ分かんないでしょ!一発二発十発殴って吐かせればいいでしょ」
最初から強行手段らしい。
そんな相変わらずの麗に、思わずロリィがくす、と笑った。
「ロリィ?」
「ふふっ・・・いえ、ごめんなさい。やっぱりレイ様はレイ様だと思って・・・」
声をたてて笑うロリィに麗は首をかしげる。シヴィルもリールもその通りだと呆れた笑顔を見せているが、麗には全く伝わっていない。
「どういうこと?」
「こんな時に不謹慎だとは思いますが、レイ様は記憶があったころも今も全く同じ反応をなさる、ということです」
「?」
余計に分からなくなった麗に、シヴィルが分かんねーならもういいよ、と手をひらひらさせる。なんだか負けた気分だ。
「意味分かんないっつの。だいたい、私はこいつの何なわけ?なんでこいつこんな偉そうなのよ?」
「そりゃあ、偉いし・・・」
ヴィスウィルを指差して口をパクパクさせている麗に、しょうがないよ、な目が向けられる。しょうがないで大人しくなるほど麗は人間ができていない。
「あえて言うなら・・・下僕・・・?」
「手下?」
「・・・仲介人?」
「なんかいよいよ私の立場怪しくない?」
下僕で手下で仲介人ってどんだけパシられてんだ。
だめだ、これでは埒が明かないと、麗はヴィスウィルに向き直る。
「どうなのよ?」
「何が」
こういうのは直接本人に聞いたほうが一番早い。
「だから、記憶があるころの私はあんたにとって何だったの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・草」
「はあ?!」
もはや人間ではない。
麗はぐっと憎ったらしく唇を噛んだ後、もういい、と言って一人で部屋を出て行ってしまった。
「ちょっ・・・レイ!」
一番ドアの近くにいたシヴィルが手を伸ばすが、麗がドアを閉めたほうが早かった。
ヴィスウィルは盛大にため息をついた後、その後をついていった。
「・・・・・大丈夫でしょうか、ヴィスウィル様・・・」
「大丈夫さ、今度こそ」
後書き
いや!意外と早く更新できたな!
なんかシリアスな内容だからシリアスに書くのは嫌だな、と思ったので気持ちだけテンション上げました!(上がってる?)
でも、ちょ・・・・これ疲れた・・・なーがい・・・
いや、スクロール的にはそうでもないかもですが、字が多かった気がする・・・
ノート二ページ書いた気がする・・・
20090117
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